私と車の物語:PEUGEOT 206(2004-2005)

プジョー206

こんにちは、畑岡です。

前回はポルシェ911という憧れの名車について語りました。今回は一転して、起業直後の苦しい時期に私を支えてくれた足、プジョー206について綴りたいと思います。

必要に迫られた選択

プジョー206を運転する著者。大変な時期だったので写真も少なく2枚しかない。

2004年、起業後の資金難でポルシェ911を手放した私でしたが、仕事上どうしても車は必要でした。限られた予算の中で次の車を探していたところ、ひょんなことから巡り合ったのがフランスの小型車、プジョー206でした。

日本では知名度こそ高くないものの、欧州ではベストセラーになったこのモデルは、ヨーロピアンテイストのデザインと取り回しの良さが特徴です。特に目を引いたのは、丸みを帯びたコンパクトなボディと大きめのヘッドライトが生み出す、どこか愛らしい表情でした。

私が購入したのは数年落ちの中古車で、価格的にはとても安い個体でした。走行距離はかなり多めで、室内に染み付いたタバコの臭いが気になるなど、コンディションは決して良いとは言えませんでした。しかし、当時の私には、それ以上を求める贅沢はできなかったのです。

フランス車への期待と現実

プジョーをはじめとするフランス車といえば、「猫足」と形容される独特のサスペンションセッティングが有名です。固すぎず柔らかすぎない絶妙な乗り心地と、しなやかな足回りによる安定した走行性能は、フランス車ならではの特徴と言われています。

正直なところ、私はそうした「フレンチテイスト」にも少なからず期待を抱いていました。しかし実際に乗ってみると、おそらく車齢や走行距離からくる劣化のせいか、そうした特性を感じ取ることはほとんどできませんでした。サスペンションの動きはむしろ硬く、路面の凹凸をそのまま伝えてくるような印象さえありました。

エンジンは1.4リットルの小排気量ながらもある程度のトルクがあり、街乗りでは不満を感じることはありませんでした。ただ、高速道路での加速や追い越しでは、明らかにパワー不足を感じる場面が多かったのも事実です。

記憶に薄い日々

今までで一番気にかけることが少ない車だったのは、大変な時期だったから。

プジョー206との1年余りは、私の人生の中でも特に忙しく、また苦しい時期と重なっています。起業後の資金繰りや顧客開拓、スタッフの育成など、様々な課題に追われる日々でした。

そのため、この車で長距離ドライブに出かけたり、心に残る思い出を作ったりする余裕はほとんどありませんでした。通勤や営業回り、必要最低限の移動に使うだけの、まさに「足」としての存在だったと言えるでしょう。

思い返してみても、印象に残るエピソードがほとんどないことに気づきます。どこか特別な場所に行ったとか、誰かと楽しい時間を過ごしたという記憶が、この車には不思議なほど結びついていないのです。それほどまでに、仕事のことで頭がいっぱいだった時期だったのでしょう。

さらに言えば、この車をどのように手放したのかすら、はっきりとは覚えていません。ディーラーに下取りに出したのか、知人に譲ったのか、それとも中古車市場に売却したのか。そのプロセスが記憶から抜け落ちているのは、この車への思い入れがそれほど強くなかったことの表れかもしれません。

見えない支え

しかし、今こうして振り返ってみると、プジョー206は私の起業初期の苦しい時期を、確かに支えてくれていたのだと感じます。毎朝確実にエンジンがかかり、必要な場所へと私を運んでくれる。そんな当たり前の日常を、この車は黙々と支え続けてくれていました。

大きなトラブルもなく、燃費も悪くなかったことを考えると、限られた予算の中で選んだ車としては、十分に役割を果たしてくれたと言えるでしょう。華やかさや走る楽しさはなくとも、必要なときに必要な場所へ行ける足があるということの安心感。それは当時の私にとって、何物にも代えがたい価値だったのかもしれません。

異文化との出会い

また、プジョー206を所有したことで、欧州車、特にフランス車という「異文化」に触れる機会を得られたことは、私の車遍歴における貴重な経験となりました。日本車やドイツ車とは明らかに異なる設計思想や価値観は、時に戸惑いを覚えるものでしたが、視野を広げるという意味では有意義なものでした。

例えば、内装のレイアウトやスイッチ類の配置、シートの形状など、細部に宿るフランス的な「個性」は、時に不便さを感じさせるものでした。しかし同時に、「機能性だけが全てではない」という、車づくりに対する異なるアプローチを教えてくれました。

現代のグローバル化した自動車市場では、各メーカーの個性が薄れてきていると言われています。そんな中で、各国の文化や哲学が色濃く反映された時代の車に触れられたことは、自動車文化を理解する上で重要な視点を与えてくれたように思います。

おわりに

プジョー206は、私の車遍歴の中では確かに「脇役」的な存在でした。しかし、どんな車にもそれぞれの役割があり、その車と過ごした時間には固有の意味があるものです。

冷静に評価すれば、この車は私に大きな感動や喜びをもたらしてくれたわけではありません。それでも、起業という人生の険しい山を登る途中で、黙々と寄り添ってくれた存在として、一定の感謝の気持ちを抱いています。

時には派手な主役よりも、縁の下で支える脇役の方が、人生において重要な役割を果たすこともあるのかもしれません。そんなことを考えさせてくれる一台でした。


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