車の遍歴は人生の遍歴 ~車との旅に見る、私という人間~

こんにちは、畑岡です。

これまで私には様々な車との出会いと別れがありました。スバル・レックス・フェリアからポルシェ・タイカン、マツダ・ロードスターからマクラーレン765LTまで、数多くの車との思い出があります。その思い出を振り返った時に、気づいたことがあります。私の車遍歴は、そのまま私の人生の遍歴でもあったのだと。

車と記憶のタイムカプセル

車の記事を書くために過去を思い返すとき、不思議なことに、その車に乗っていた当時の心情や情景が鮮明に蘇ってきます。初めて購入したマニュアル車でのヒールアンドトゥの練習、初めてのスーパーカーでのエンジン始動の瞬間、長距離ドライブでの何気ない会話…。それらすべてが、まるで昨日のことのように思い出されるのです。

よく「香りは人間の脳と直結して記憶と結びつく」と言われますが、私にとって車も同じような存在です。車内の革の香り、エンジンの音、シートの触感、ステアリングの重さ。これらの感覚的な記憶が、その時々の私の人生の断片と強く結びついているのです。

例えば、学生時代のレックス・フェリアを思い出すとき、青春の不安とわくわく感、友人との旅行、限られた予算の中での工夫など、当時の生活感まで一緒に蘇ります。初めて新車で購入したガラントからは、社会人としての第一歩を踏み出した頃の責任感と高揚感を思い出します。そして起業後の浮き沈みは、ポルシェ911ターボからプジョー206、そしてまた復活して手に入れたフェラーリ488GTBへと続く車遍歴と完全に重なっています。

価格を超えた価値

私の車遍歴を通じて強く感じるのは、車の価格と得られる喜びは必ずしも比例しないということです。確かにフェラーリやマクラーレンといった高級スーパーカーは、その卓越した性能と存在感で特別な体験をもたらしてくれました。しかし、プジョー206のような比較的リーズナブルな車や、シンプルなマツダ・ロードスターが与えてくれた喜びも決して小さなものではありませんでした。

むしろ、それぞれの車には独自の個性と魅力があり、その時々の私の生活や価値観に合わせて、異なる形の満足をもたらしてくれたように思います。会社の苦しい再建期を支えてくれたトヨタ・アイシスは、スーパーカーよりも大切な存在だったかもしれません。また、純粋な運転の楽しさという点では、軽快なロードスターが何百馬力ものスーパーカーよりも心に残る体験を与えてくれることもありました。

どの車も、その時々の私の人生の一部として、かけがえのない味わいを持っていたのです。

理想と現実のバランス

車好きの血が騒ぐと、ついつい所有車を増やしたくなるものです。私の頭の中にある理想の車庫には、スーパーカー3台、スポーツカー3台、ライトウェイトスポーツカー3台、そしてトランポ1台とミニバン1台が並んでいます。マクラーレンやフェラーリ、ポルシェといったスーパーカー。911やケイマン、ボクスターなどのスポーツカー。そしてロードスターやアルピーヌA110のようなライトウェイトスポーツカー。実用車としてのハイエースとセレナ。これら全てを所有できれば、どんなシーンでも最適な車を選べる贅沢な環境が手に入ります。

実際、事業が最も順調だった時期には、この理想に近い状態を実現したこともありました。765LT、488GTB、570Sスパイダー、718ボクスターS、マカンGTSという豪華なラインナップは、車好きとしての夢の実現でした。

しかし、現実的には管理の大変さもあります。車検や税金、保険、メンテナンス、保管場所…。車の数が増えれば、それだけ管理の手間とコストも増えていきます。加えて、一台一台に十分な愛情と時間を注ぐことも難しくなります。時には「どの車に乗ろうか」と選ぶのに悩む贅沢な悩みさえ生じます。

足るを知る智慧

振り返ってみると、本当に必要なのは各カテゴリーから1台ずつ、計4〜5台程度なのかもしれません。スーパーカー1台、スポーツカー1台、ライトウェイトスポーツカー1台、そして実用車1〜2台。この構成であれば、管理の負担も現実的な範囲に収まり、かつ様々な車の魅力を楽しむことができます。

さらに言えば、特に都内で生活する場合、車1台でさえ決して少なくはありません。公共交通機関が発達した東京では、車を所有すること自体が既に贅沢とも言えるでしょう。2台ともなれば、明らかに「必要」を超えた「趣味」の領域です。

この「足るを知る」という考え方は、車だけでなく人生全般においても重要なことかもしれません。どこまでが自分にとって必要で、どこからが過剰なのか。その境界線を見極める智慧は、充実した人生を送るうえで欠かせないものです。

変わりゆく自分と車との関係

私の車選びの変遷を振り返ると、生き方や価値観の変化も見えてきます。若い頃は「速さ」や「見た目」を重視していましたが、年齢を重ねるにつれて「快適性」や「実用性」も同じくらい重要視するようになりました。ポルシェ911ターボからマカンGTSへの移行は、そんな価値観の変化を象徴しているように思います。

また、純粋に「運転する喜び」を追求するという姿勢は一貫していますが、その形は時代と共に変わってきました。かつては「パワーと速さ」が運転の喜びの中心でしたが、今ではむしろ「バランスの良さ」や「車との対話」を重視するようになっています。マクラーレン765LTのような極限のスーパーカーも魅力的ですが、アルピーヌA110GTのような軽量スポーツカーに同等、あるいはそれ以上の魅力を感じるようになったのは、そうした価値観の変化を表しているのでしょう。

さらに、電気自動車の台頭など、自動車産業自体も大きく変わりつつあります。ポルシェ・タイカンとの奇妙な関係に象徴されるように、私たち車好きも時代の変化と向き合い、新たな「車との付き合い方」を模索していく必要があるのかもしれません。

車道楽と人生

車道楽が高じて、時に経済的な合理性を超えた選択をしてきたことは事実です。本来なら貯蓄や投資に回せるはずの資金を、次々と新しい車に費やしてきました。客観的に見れば、それは「行き過ぎ」と評されても仕方ないでしょう。

しかし、人生において「合理性」だけが全てではありません。情熱を注げるものがあること、心から楽しめる趣味があることは、経済的価値では測れない豊かさをもたらしてくれます。私にとって車との付き合いは、まさにそのような存在でした。

仕事で疲れた日に愛車のエンジンをかける瞬間の高揚感、休日の早朝にワインディングロードを駆け抜ける開放感、車好き仲間との会話で盛り上がる充実感。これらの経験は、私の人生を豊かに彩ってくれました。

もちろん、今後も「過度に行き過ぎない」という節度は保ちたいと思います。しかし、車への情熱自体は決して手放したくはありません。適度な範囲内で、これからも車道楽を楽しみ続けていきたいと思います。

おわりに

車の遍歴を振り返ることで、自分自身の成長と変化、そして人生における価値観の移り変わりを垣間見ることができました。車との出会いと別れは、私という人間を形づくる重要な要素だったのだと改めて実感します。

所有した車の数々は、単なる「乗り物」ではなく、その時々の私の人生の伴走者であり、時に励まし、時に慰め、そして常に新たな発見と喜びをもたらしてくれる存在でした。

これからも車との付き合いを通じて、新たな発見や学び、喜びに出会っていけることを楽しみにしています。そして、それらの経験がまた、新たな「私」を形づくっていくのだと思います。

車好きの皆さんも、自分と車との関係を時に振り返りながら、その深い繋がりを楽しんでいただければ幸いです。