
こんにちは、畑岡です。
前回は学生時代の愛車、スバル・レックス・フェリアⅡについてお話ししました。今回は社会人になって初めて購入した新車、ミツビシ・ギャランVR-G ツーリングについて綴りたいと思います。
初めての新車という喜び
大学卒業後、就職して2年ほど経った1996年の春、私は人生で初めての新車を購入することにしました。ある程度の貯金ができたこともあり、長年の夢だった「新車購入」に踏み切ったのです。選んだのはミツビシ・ギャランVR-G ツーリング。当時のミドルセダンの中でも、特に先進的な装備と走行性能を兼ね備えたモデルでした。
ショールームで見た深いグリーンのボディカラーに一目惚れし、試乗での走りの良さに感動したことを今でも鮮明に覚えています。新車の匂い、誰も座ったことのないシートの感触、ピカピカの内装。全てが新鮮で、納車日は宝くじに当たったような高揚感がありました。
画期的なGDIエンジン
このギャランを選んだ最大の理由は、当時画期的だったGDI(ガソリン直噴)エンジンを搭載していたことです。従来のエンジンとは異なり、燃料を直接シリンダーに噴射する方式で、燃費の向上とパワーアップを同時に実現していました。
当時の自動車業界では、環境問題への意識が高まり始めた時期でもあり、この先進的な技術に惹かれたのです。実際、高速道路を走ると、リッター当たり16kmという当時としては驚異的な燃費を記録したこともありました。今でこそハイブリッドや電気自動車が珍しくない時代ですが、90年代後半においてこのエンジンは革命的な存在だったのです。
エンジン工学の観点から見ると、GDI技術は燃焼効率を高めるために燃料と空気の混合比を精密に制御するという点で画期的でした。これにより低負荷時には超希薄燃焼を実現し、燃費を向上させる一方、高負荷時には理論空燃比で燃焼させることでパワーを確保するという、相反する要求を同時に満たしていたのです。
思い出の旅路と日常
このギャランとの思い出は、何と言っても長距離ドライブでしょう。入社3年目の夏、東京から神戸まで一人で往復したことは、私の人生において大きな自信となりました。片道約500kmの道のりを、心地よい疲労感とともに走り抜けた達成感は格別でした。
また、当時付き合っていた彼女(現在の妻です)とのデートにもよく使いました。都内の夜景スポットを巡ったり、房総半島までドライブしたり。洗練されたセダンの中で過ごす時間は、お互いをより深く知る貴重な機会になりました。
冬には、ルーフキャリアを装着してスキーにも出かけました。5回以上、友人たちと共に白銀の世界へと向かいました。雪道での走行性能も安定しており、冬のレジャーを存分に楽しむことができました。荷物がたくさん積めるツーリングモデルを選んだことが、こうした場面で大いに役立ちました。
先進技術との出会いと戸惑い
ギャランVR-G ツーリングには、当時としては先進的なカーナビゲーションシステムが標準装備されていました。今でこそスマートフォンでも無料で使える機能ですが、90年代後半においては革新的な装備でした。友人を乗せると必ず驚かれ、自慢の種でもありました。
ただ、その精度には少々難があり、時には実際には陸上を走行しているのに、ナビ画面では海上を航行しているかのような表示になることもありました。また、新しい道路には対応しておらず、「直進してください」と言われて従うと、突然工事中の立入禁止区域に迷い込んでしまったこともあります。
今から振り返れば笑い話ですが、GPSの精度や地図データの更新頻度など、現代のナビゲーションに比べると隔世の感があります。テクノロジーの進化の速さを実感させてくれる思い出です。こうした経験から、私は新技術に対して「早期導入者」としての喜びを味わう一方で、ある程度「懐疑的な目」を持つようになったかもしれません。
別れの決断
20代後半という、仕事にもプライベートにも充実していた時期を共に過ごしたギャランですが、30歳を前にして別れを決意しました。住宅購入の計画が具体化し始め、貯金を増やす必要性を感じたのです。ある日突然、「売却しよう」と決断し、翌日には中古車ディーラーに持ち込みました。
決断から行動までが早かったのは、おそらく長く考えれば考えるほど別れが辛くなると分かっていたからでしょう。それでも、最後に駐車場でギャランを眺めたときは、これまでの思い出が走馬灯のように浮かび、胸が熱くなりました。
2年間で走った距離は約4万キロ。故障らしい故障もなく、最後まで信頼できるパートナーでした。この車を通じて、単なる移動手段以上の、「共に時を刻む」という車との関係性を学んだように思います。
技術革新と自動車文化
90年代後半は、日本の自動車産業が積極的に技術革新を進めていた時期でした。GDIエンジンだけでなく、安全技術や快適装備など、様々な面で進化が見られました。しかし同時に、バブル崩壊後の景気低迷や環境規制の強化など、業界全体が大きな転換期を迎えていたことも事実です。
私のギャランも、そうした時代の産物でした。燃費と走行性能を両立させる技術、初期のナビゲーションシステム、洗練されたデザイン。これらはすべて、日本の自動車メーカーが世界市場で競争力を維持するために必死に開発したものだったのです。
現在、自動車産業は電動化や自動運転など、さらなる大変革の時代を迎えています。しかし技術がどれほど進化しても、車と人との絆の本質は変わらないのではないでしょうか。私とギャランの関係がそうであったように、車は単なる道具ではなく、人生の伴走者なのです。
おわりに
ギャランとの日々は、私の20代後半という貴重な時期の思い出と共に、今も心に残っています。初めての新車という特別な存在は、その後の車選びの基準にもなりました。信頼性、先進性、そして何より「乗っていて楽しい」という感覚を大切にする価値観は、このギャランから学んだものです。
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